4月は純真無垢

あんまり長い文章は書けない。不妊治療と妊娠の記録。

最近、憂いていること

ドラマ、エルピス-希望あるいは災い-、見ましたか?

私はこのドラマがバイブルになりそうなくらい、大切な作品になった。いろいろ書き記しておくべきだなと思う私の気持ちはあるんだけど、少しアルコールの入った今はめんどくさいし、このまま書き留めることなく消えてしまうかもしれないけど、何かが心の奥底に沈み続けるからそれはそれでよし。

 

 

最近、憂いていること。

エルピス、本当に面白かったんだけど、実母は1話でつまらないと感じて離脱したらしい。確かに、1話さ起承転結の、起〜!って感じで、引き込まれる要素はなかったし、私自身ドラマのバックボーンを知ってたから見続けたわけだし。

でも、母は最後まで見たとして、つまらないと言いそうだなと思う。

 

エルピスの脚本家渡辺あやさんのインタビューにて。当時TBSに在籍していたプロデューサー佐野さんが上司からかけられた言葉が印象的だった。

――お2人のタッグの実現はいち視聴者としてもとてもうれしいです。

渡辺 その後もいろいろな機会で会うようになり、島根県にある私の仕事場まで来てくださることも何度もありました。この頃は郊外に住んで低価格帯アパレルショップの洋服を着ているような主婦にウケるラブコメをつくるようオーダーがあったようで、ラブコメ路線の話もしていました。でも、どこかお互い乗り切れないところがあったんですよね。

――テレビ番組のターゲット設定というと、F1層(20~34歳の女性)、F2層(35〜49歳の女性)など、もっとざっくりしたものなのかと思っていました。すごいオーダーですね。

渡辺 しかも、佐野さん越しに聞こえてくる上司の言葉というのが面白くて。「お前はとにかく、伊勢丹で物を買うような人に向けて作品をつくろうとしている」という謎の説教をされたようなんです。そんなことを言われながらものづくりをしているのかと不憫に思えてきました。

(2ページ目)「あなたは何者か」を問いながら 作品と向き合う、脚本家渡辺あやが 長澤まさみの新ドラマにかける思い

 

実生活の私は伊勢丹で物を買えないけれど、郊外に住んで低価格帯アパレルショップの服を着ているけれど……この上司の言葉って本当に視聴者を馬鹿にしてるなぁ……

エルピスは人を選ぶドラマだったのは間違いないと思う。私は面白かった。でも母は、ドラマが盛り上がりを見せた後半を見ても、面白いと感じなかったかもしれない。

ドラマでも、本でも、自分の中にある経験や知識と結びつくと、より深く理解、共感できるものだと思う。教養があればあるだけ、感受性の引っ掛かりがたくさんできる。

エルピスというドラマ、現政権や社会に対する批判的な目があったけれど、現状をありのまま受け止めて批判的な精神を持たない人には面白くなかっただろう。自民党支持者には不快だったろうけど、そもそも社会の問題に興味がない大多数の人には刺さらない。

 

私がひどく問題だと感じていることが、大多数の人にとって見えてすらいない。

現状をありのまま受け止めて搾取されてることにすら気づかない方が、ある意味幸せかもしれない。

母に限って言えば、もうすぐ還暦で、年金ももらえるし、子どもたちも育て上げて、金銭的にも余裕がある、勝ち逃げの世代だから。私とは価値観が違う。

エルピスという作品が面白くて、この作品をきっかけに冤罪や社会の問題に関心を持つ人もいないではないだろうけど、やはり元々関心があった人がドラマを好んだんじゃないかな、と思うと、あんなに面白い作品でも世論に一石を投じるまではいかないんだな、と気が重い。

 

 

最近、憂いていること。

私が教育を受けてきた環境で、私はすごく頭がいいほうではなかったけど、実は世間から見たらかなり上位にいて、自分が思うより世間の平均はバカなのかもしれない。

でもこれはTwitterで不毛な言い争いばっかり見てるせいだ。そこは世間じゃない。あそこは国語力が弱い人の巣窟だ。

 

 

最近、憂いていること。

エルピス最終話で、長澤まさみ演じる恵那のセリフで「希望って、誰かを信じられるってことなんだね」というのがあった。うろ覚えだけど。

これにいたく感銘を受けてしまった。

ああ、そうだな。社会や大きなパワーに押しつぶされそうでも、信念を共有する仲間がいれば、自分を失わずにいれそうだ。

私には仲間がいない。いつもひとりで、おかしい、おかしいって思ってるだけ。

夫は私の話を聞いてくれるけど、馬耳東風、馬の耳に念仏という感じで、洪水のように語りかけるうち5%も彼の中には残らない。彼の中には感受性の引っ掛かりがなさすぎる。

仲間が欲しい。仲間が欲しいから、職場の労働組合に入ったんだな。おかしいことをおかしいって言える仲間が欲しいから。政党にも入ったらいいんだろうな。

信念を共にする仲間がいれば、社会が良くならなくても、希望を持てる。

その信念が正しいかは分からない。この仲間が欲しいという気持ちは、例えばカルトにも簡単に飲み込まれそうな、危うい気持ちだと思う。

 

ちょっと脱線。最近「多様性の科学」を読んでめちゃくちゃ面白かったんだけど、この信念を共にする仲間を求める気持ち、エコーチェンバー現象になってしまいそうだ。私は多様性を排除してないか?常に自問自答してないと、リベラルなつもりで自分こそが気づいたら視野が狭く非論理的な差別主義者になってしまうかもしれないよ。

 

 

このブログ、一度頑張って書いたのに引用部分以下が消えて、書き直したんだけど、最初は何書いたか、もう私の中からも消えてなくなっちゃったな。

とりあえずこれが今の私の心のモヤモヤの一部です。