4月は純真無垢

あんまり長い文章は書けない。不妊治療と妊娠の記録。

出産前夜の夜

明日、予定帝王切開なので、今日から入院している。

21時に消灯して、あとは寝て、明日の朝に手術に呼ばれるのを待つだけ。実感がない。本当に実感がない。

やっと会える喜びも分からない、ここまで母子ともに無事にこられたことへの安堵もいまいちない。硬膜外麻酔打つとき痛いのやだな〜点滴やだな〜出てくるまではすぐだけど縫合のときの緊張感やだな〜とか、そんな感じ。

 

ついでに以下は3週間前に書いた下書き。

その時の気持ちも残しておくね。

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35週と1日。あとちょうど3週間で第二子を産む。予定帝王切開なので、ほぼ確定で。

一昨日だったか、胎児にお腹を強く蹴られて、「痛い!」と声が出た。長女を身籠っていたときには経験がない、強い蹴り。男の子は力が強いんだろうか。

お腹が重くて、起き上がるのも、屈むのも一苦労で、産んでからの方が大変だろうけど、早く身軽な体になりたいとばかり思っている。

あと少しで産める。長女のときと、私の気持ちが全然違う。母子手帳の妊娠経過のページは真っ白だし、育児用品も使い回しで買い足すものなんてほぼないし、産まれるのを楽しみにする気持ちが長女と比較して20%程度しかない感じ。

長女、あまりにも愛しくて。寝かしつけで添い寝してたら、ごろごろと転がりながら「まーま」って呼ぶ。「はい、ねんねしようね」って言うとまた「まーま」って。私にぴっとり寄り添って、私の腕を枕にしたり、布団がわりにしたり、本当にママが好きらしい。あなたの意思とは無関係に、あなただけのママじゃなくなる、ごめんね。

弟のこと、好きになってくれるかなぁ。お世話したい、一緒に遊びたいって思ってくれたらいいんだけど、ママを取られた、悲しいって気持ちにさせたくない。本当にそれが不安で、第二子を楽しみに思えていない。

第二子への愛情は、夫に任せたいとまで思う。もちろん、生まれてみたら変わる気持ちだと思うんだけど、そんな不安定な気持ちだと、夫に伝えるべきだな。

第一子は、お腹にいた頃から私がこの子を守らなくちゃって過剰に気負っている、現在進行形で。毎日、「この子が早くおばさんになって、生きやすくなって、安心して手を離せる日が来て欲しい」と思うもの。

第二子は、何かあったら夫のせいだよ、と内心思っている。もし死産するようなことがあったら私を労わらなかった夫のせいだし、私がこの子を愛せないなら愛するだけの余裕を作ってくれなかった夫のせいだし。

きっと夫は夫で私任せだから、「あなたがちゃんとしないと、この子はとても可哀想な子になるよ」と脅したい。

夫にこの気持ちを話すと、「長女と同じように愛情をかけるよ」とのことだったけど。それが正解だと思いつつ、私の愛情が上の子に傾いてしまいそうな分、下の子を気にかけて欲しいっていうのはいまいち伝わらなかったな。

名付けのこと、再び

Xで見かけた名付けについてのポスト。

エミリー🐈‍⬛3y on X: "キラキラネーム話題らしいけど、同姓同名がまじで見つけられない、みたいな名前はこのネット社会ではおそらく結構リスクですよ、というのは肝に銘じておきたい。 (娘と同姓同名がネットで見つけられるか名付け前に確認した。)" / X

 

 

娘の名前を考えるときにあーだこーだとブログにも考えを残していたんだけど↓

【36w0d】名付けのこと - 4月は純真無垢

結局つけた名前は、このブログに書いたとおり、一発で読めて、読み間違いがない、普通の名前。

苗字が平凡なこともあって、娘の名前を検索したら同姓同名まぁまぁ出てくる。

「一癖ある名前」「誰とも被らない名前」がトレンドだと感じていて、そういうオシャレな名前は素敵だけど、子が生きる何十年もこの先飽きずに素敵だと思える名前を捻り出せる自信が私にはなかった。

冒頭に載せたXのポストにあるようなリスクを考慮してのことじゃなかったけど、結果としてリスク回避になったんならまぁ良かったのかな。

 

 

娘の名前。すごくいい名前をつけたなぁと思っている。

画数が良い。総画数大大吉〜❗️✌️ではないんだけど、おそらくどの流派からみても、凶になる項目がない。

良い画数を選ぶのは、「娘が理不尽や不幸に見舞われませんように」っていう願い。

娘がより良い人生をつかみ取れるかどうかは、親が用意できる環境や、本人の意思や努力によると思うけれど、親や本人の努力でどうしようもない部分については祈るしかないから。

 

あと、戸籍に載る名前は(改名しない限り)一生付き纏うものではあるけれど、それもマイナンバーと同じように記号のようなものでしかないから、いつか名乗りたい名前ができたときは、そう名乗ってくれて構わないと思っている。芸名や通称名のように。

 

そして娘の名前には、前向きな感じがする漢字が使われている。希望とか、光とか、そういう意味合いの。

夫に言われたことだけど、私がよく過去を振り返ってクヨクヨするタイプだから、前向きなニュアンスな娘の名前はいい名前だと言っていて、確かになと。

 

普通の名前だけど、いい名前。

 

 

第二子男児の出産がもう来月なんだけど、なかなかしっくりくる名前がまだ思い浮かばない…

今回は夫に決定権を委ねようと思ってるけど、いまいちしっくりこない。

第二子は、名付けに関しても適当な気持ちがあって、まぁしっくりきてないけどええか、で決まりそうな予感…

夫との少し喧嘩メモ

夫とほんの些細な喧嘩。

 

最近の我が家の夕食は、私と娘が18時過ぎごろに一緒に食べて、20〜23時頃に帰宅する夫は1人で食べることが多い。

今日は夫が20時過ぎに帰ってきたので、私が娘を寝かしつけてる間に夕食の煮込みうどん食べといて、全部食べられなそうなら私が明日昼に食べるから取り分けといて、って伝えて寝室に。

1時間ほどして戻ってきたら、取り分けられたうどんにラップがかけられておらずキッチンに置きっぱなしで、コバエがうどんの上を歩いていた。

 

1ヶ月ほど前からキッチンにコバエが飛ぶようになった。これがもう本当にストレスで!!我が家はディスポーザーがあって生ゴミ溜めないし、コバエに困り始めてからこまめに掃除、ゴミ捨てするようにしてるし、コバエトラップも試したのに、未だに(数を減らしつつも)根絶に至っていない。

そんな状況なのに、煮込みうどん放置すんなよと。私、怒る。

 

コバエがちょっと歩いたくらいねぇ、平気でしょ、と思われるかもしれないけど、コバエマジで許せん、絶対許せんから、煮込みうどんはそのままディスポーザーに捨てた。

 

「ないわ、本当にないわ」と怒り嘆く私に対して夫は「気が回らなかった、ごめんぴ」と。

ごめんぴ?ハァ?

 

…というのが一連の流れ。痴話喧嘩というか、私が一方的に夫にキレている状況。

 

 

夫の過失は、ラップをかけなかったこと。それだけ。

そんなに、ブチギレられるようなミスじゃないやろと思う。いや、別にブチギレではないよ。うどんを夫に向かって投げつけたりしてないし、怒鳴ったりしてないし。でも結構怒ってる。むしゃくしゃした気持ちを整理するためにブログを書き始めるくらいには。

 

なんで私こんなに怒ってるのか。

 

まずコバエという存在よ。コバエがうどんの上歩いてた絵面を見たせいでストレスがMAXまで急上昇した。多分、コバエじゃなくて蚊だったら表面だけ捨てればあとは気にならず、そんなに怒らなかったかもしれない。コバエは本当に許せん。これが1番大きい。

夫はコバエを深刻に考えてないから(そもそも私よりキッチンに立つ回数も少ないし水回りの汚れや汚いものが見えない節穴の目をしている)ラップも忘れるし、「ごめんぴ」になる。私はこの1ヶ月「目を離した隙にコバエが食品にとまらないか」ずっとヒヤヒヤしながらキッチンに立ってたし、目を離した場合は食品や食器を都度洗ってたからね。コバエに対する感情の差よ。

 

それに、せっかく作ったうどんを自分で捨てる行為にストレスが溜まった。食べ物を粗末にすること、本当はしたくない、でもコバエは無理。

こんなこと言って、よく食品ダメにしてるんだけどさ。合理的ではないけど、放置しすぎて腐ってしまった食材はもはや「食べ物」ではないのでディスポーザーに流しても「バクテリアのごはんにどうぞ」の気持ちであんまり背徳感がない。今回みたいな、ついさっきまで「食べ物」と認識していたものを捨てるのは、違うのよ。繰り返すようだけど、合理的じゃない自覚はあるよ。

 

そして、なにより。ごめん「ぴ」よ。

私結構怒ってるんですけど、のときのごめんぴ。夫は、私が怒ってるときに素直に謝れない人だ。不妊治療中のタバコ問題のときもそうだった。

夫自身が悪いと思ってないから「ごめんぴ」なんだよな。グラス割ったときとか、悪いと思ってるときはちゃんと謝るもんな。ちょっと悪いと思ってるけど、すごく悪いと思ってるわけじゃないから「ぴ」だよな。夫の見積もり以上に私が怒ってるからすれ違う。

でも私も逆の立場になることあるかも。夫はなかなか怒らない人だから、滅多にないけど…

 

自分は悪くないと思ってるけど、相手は怒ってるときの態度、和解のための振る舞い、考えた方がいいっすね。

とりあえず「ごめんぴ」が許されるのは相手が怒ってない場面だけだから、明らかに相手が怒ってなさそうな場面以外は「ぴ」は付けないでくれる??って夫に伝えとこ。

 

 

 

………

超どうでもいいけど夫とのラインで「ごめん」検索したら95%私が「ごめん」って言ってるわ。「すまん」だと6割夫。

手垢まみれの、初めての感情

夫がコロナに感染してしまい、昨日から自宅内で隔離、療養生活を送っている。幸い、私と娘に症状はなく元気なので、育休中みたいに娘とずっと2人で過ごした。

娘はママのことが大好き。娘のご飯の用意をしたくてキッチンにいると、子供部屋から膝歩きで(まだ二足歩行できない…)やってきて「ドージョ」と絵本を渡してくる。一緒に子供部屋にいるときは、こちらをチラチラ見ながらキッチンに向かって行って、キッチンは基本立ち入らせないようにしてるから「ダメだよ〜」と抱っこで連れ戻すといたずらな笑顔で笑う。私がリビングで横たわっていると、笑いながら私にしがみついてくる。

可愛い、可愛い、本当に、可愛い。

一日中2人で過ごして遊ぶのは、しんどい。絵本を読むのも、パズルをするのも、集中力があまりない子どもと一緒にするのは、あまり時間を潰せないし、ずっとそばで付き添って見守るのは大変だし、家事をしたいときは1人遊びしてて欲しいし。

でもさ、こんなふうにママが大好きで抱きついてくるの、本当にあと数年なんだろうな。多分、10歳くらいまでは家族と出掛けてくれる。でも、ママに抱きついて、くっつきまわって、満面の笑みを見せてくれるのは、本当にあとちょっとの期間かも。

よく見るじゃん、育児大変だけど、終わってみたら、小さかった頃の子供に会いたいってなる、感動系漫画。みんなが通って、感じる、よくある話じゃん。

でも、本当にそうなるんだなって、急に今日現実味を帯びて、私はこの日を、今をちゃんと覚えていようって思ったよ。

大好き、大好き、本当に大好き。

あなたのためなら、なんでも差し出していい。私の宝物。

弟も無事産まれて欲しいけど、この子を悲しませないでいられるか、弟も同じように愛せるのか、私は今でも不安です。

子供が欲しかった理由と、子供が複数人欲しい理由

子供が欲しかった理由。

自分が子供の頃に欲しかった言葉や愛情をめいっぱい与えたら、どんな人間になるのか知りたいと思ったから。

優秀な人間を育てたいとかじゃない。知育とか早期教育とかあんまり興味がない。常に子供に肯定的な存在として親が振る舞えば、自尊心を傷つけずに育った人間は、思慮深く、自信にあふれた、優しい人間になれるんだろうか。それを確かめたくて、子供が欲しかった。

あとは子供がいないと人生は退屈だろうなぁとか、子供がいれば、幼少期の嬉しかった数々のイベントを反芻できて人生の密度が上がるんじゃないかとか。

 

これらの思いは、子供が1人いれば叶えられること。むしろ1人の方が、じっくりその子に向き合える。

でも今わたしは妊娠中で、2人目の子どもを産もうと思っている。

 

子供が複数人欲しい理由は、端的に言えば、リスク分散でしかない。

リスクは、子どもを失って、私が生きる意味を失って、自ら命を絶ってしまうこと。

あまりにも娘が愛しい。この子が私のすべて、なんて言ってはいけないけど、全てを投げうっても守りたい、幸せにしたい。この子の命や尊厳が理不尽に奪われたら、私はもう生きていけない。

そうなったときに、子供が複数人いれば、死んではいけない理由ができる。それだけ。

 

2人目の子に申し訳ない理由だけど、これが本心だ。

 

 

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ここまでのことを書いてから、下書きに眠らせたまましばらく経った。

第二子は、7/18(18週)に受けた健診では女の子だろうと言われていた。姉妹は育てやすそうだな、大人になってからも助け合えるといいなと想像して嬉しかった。ただ、第一子妊娠中に比べると、圧倒的に気が楽で、あまりお腹の子のことに思いを馳せたりしなかった。どこかで、ものすごく悪い言い方だと自負はあるんだけど、大切な長女がいて、それほど大切ではないリスク分散のために産みたい次女がお腹にいるように思っていた。長女は無事産まれるかずっと不安だったけど、次女はもし万が一のことがあったら悲しいけど長女がいるからと気楽に構えていられた。

ところが、昨日いつも通っている病院とは別のクリニックで4Dエコーを撮ってみたところ、お腹の子は男の子だと言われた。ばっちりと、おちんちんが見えた。

あまりにもびっくりして、気持ちがガラッと変わってしまった。当たり前に、お腹の子は長女とは別の生き物で、スペアでも保険でもなんでもない。なのに長女と同じ性別の子だと思っていたときは、少しそんなふうに思っていた。なんて酷い母親か。

長女が生まれる前は、男の子がほしいと思い続けていたのに、今は不安が大きい。この不安もいつか言語化したいけど、今日はもうお休み。

子どもの頃の私が可哀想

私は実母と仲良いけど、親に本音なんか話せなかったし、お母さん大好きなんて思ってなかったな。母の日にあげたネックレスを、似たようなの持ってるって我が子に返品させる親だったもの。

 

小さな頃のこと思い返すと、お母さんが嫌いだったことばかり思い出す。おばあちゃんへのハガキ、うまく書けなくて泣いていたら、はがきをビリビリに破られたこと。褒めてほしくて見せたひらがなの練習帳を「下手」って吐き捨てられたこと。小さな頃の私を思うと、可哀想で泣ける。

毒親ってほどじゃない。お母さんは疲れてた。イライラしてた。

泣き虫だった私はよく「泣きなさんな」と叱られたから、いつも隠れて泣いてた。隠れてもバレること多かったけど。

お母さんにぶつけた悩みや本音は一蹴されたから、本音を話すことも無くなった。

 

高校時代の転機を経て、お母さんとはすっかり仲良くなったし、今でこそ、自分の絶対的な味方だと思えるけど、自我が芽生えてから、中学生の多感な時期まで、お母さんが嫌いだった。いや、むしろ、お母さんは私のこと別に好きじゃないでしょって思ってた。

 

 

娘が夜中で目覚めたら、「怖い夢見た?嫌なことあった?大丈夫、大丈夫だよ」って、私は抱きしめる。

小さな頃の泣いてる私、親から見たら理不尽に泣いてるように見てたろうけど、悲しんでるには理由があって、受け止めて欲しかった。抱きしめて欲しかった。自分がそうして欲しかったから、娘にはそうする。

自分がして欲しかったこと、娘にしてあげたって、子どもの頃の悲しみが消えるわけでもない。1人で隠れて泣く癖、本当に悩んでることは家族に対しても胸が支えて言葉が出ない癖は治らない。

私自身が、子どもの頃の私を抱きしめてあげるしかない。


娘が私に大好きって気持ちをぶつけるのが羨ましい。私は、いつまでも、娘にとって絶対的な安心できるママであり続けたい。

判定結果

着床していた😳

私は「えっ、本当ですか」って反応。

ただ、前回に比べてHCGの値が低い。

前回も使った妊娠継続率判定ツール、前回は95%(多分100%は絶対出ないから、最大値)だったけど、今回は87.4%だって。

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それでも十分高いんだろうけど、またこれから毎回の健診でちゃんと育ってるかな、生きてるかな、って過ごす日々になるのか。

これが95%って出たとしても、不安なんだけどね。

 

来週また来て、次は胎嚢確認するそう。

嬉しいはずなのに、不安な毎日が始まるのね。前向きに、前向きに過ごさなきゃね。