おなかの子は十中八九女の子。
男の子がよかった、というより、女の子を育てるのは、不安だから嫌だった。
自分に似た子どもなんて、難儀すぎて嫌だと思っている。自分と同じ性別を望むだなんて、相当自分のこと好きなの?って揶揄したくなる。
子どもと自分は決して同じ人間ではないけど、同じ性別だと共感性羞恥を呼び起こされそうだと思ってしまう。
初めて嘘をついたとき、好きな男の子ができたとき、性の知識をこっそりつけたとき、親に隠し事をしたかったとき。
今思えば、親は子どもだった私の隠し事なんてお見通しだったんじゃないかと思うけど、自分が母親として、娘が隠したいことを見通してしまうのが怖い。
男の子だったら、分からないでいられたし、分かっても勝手に恥ずかしがらずにいられたんじゃないかと、そんなふうに思ってる。
自分とあまりにも似てなくて、めちゃくちゃませた女の子でも困惑する。それも、恥ずかしいって思っちゃいそうなんだ。でも、子どものことを「おませさん」って揶揄するの、絶対ダメなんだよな。ませてることは悪いことじゃない。なのに、私はませてる女の子が嫌い。
嫌いな男は、女性に差別的だったり、恵まれてることに無自覚だったり、教育次第でそんな性格にはならんやろと思うものだから、不安はないけど、「ませてる」というその子の個性を嫌いと思うなんて、どうしたらいいのか分からない。「ませてる子も可愛い」って思えるようになるしかないのか。ませそうな名前は絶対つけたくないという意志が強くある。
我が子が欲しかったのは、教育したかったから。たくさんの経験をさせてあげて、自分が欲しかった声かけをしてあげて、愛を注いでみたい。でも想像してたのは、ずっと男の子の教育だった。
私の人生なんてちっぽけなもので、よく考えて、喋って、楽しく生きてるけど、狭い世界で生きてる自覚がある。仕事だけじゃない。趣味もインドア。だって人混みは疲れるし外は怖い。同じ女として見本にならない生き方してるから、自信がない。なんでか、男の子は別の生き物だから、そうなふうに思わないんだよな。
「男の子だったら心理的距離を空けて、教育できるのに」と思ってる。自分の過去や現在と重ねず、自分が良いと思う声かけを選ぶことができる気がする。
女の子でも同じように振る舞えるはずなのに、何がこんなに心に引っかかっているんだろう。
思い起こしてみれば、小さい頃の私とお母さんの関係に原因があるような気がする。
昔、お母さんが嫌いだった。
記憶の中のお母さんはいつも疲れてるし、なんとなく娘の私に無関心だったような気がする。
多分そんなことなくて、私がたくさんのことを忘れてしまったせいだと思う。
そもそも、子どもの時、親に本音を話したことなんてなかった。中学生のとき、すごく悩んでたことがあって、やっと打ち明けた悩みを「あんたが悪いんでしょ」って受け流されたことがあった。あの日のこと、ずっと根に持ってて、嬉しかったことが消えてしまった。
お母さんもそのとき、すごく疲れて、大変だったんだと思うんだよ。大人になったから分かる。
だけど、生まれてくる子が女の子だと、私自身がすごく嫌いだったお母さんみたいに子どもに接してしまうんじゃないかって恐れている。
お母さん、お兄ちゃんのことはひときわ大切に思ってた。だから男の子なら可愛がれるんじゃないかって。
「自分みたいな女の子は嫌」って、子どもの頃の私とお母さんの関係が嫌で、それを再生産するのが嫌ってことなんだろう。
でもさ、待ってよ。
私は、お母さんとは違う人間だし、生まれてくる子は、私じゃない。
男の子だろうが、女の子だろうが、私がなりたかった親になればいい。
ちゃんとわかってるの。頭では。
胎動がはっきり分かるようになってきて、我が子は今もポコポコ動く。
大丈夫。私がなりたかった親になる。