4月は純真無垢

あんまり長い文章は書けない。不妊治療と妊娠の記録。

好きを折らない

私はさかなクンがすごく好きで、好きなことを誰にもへし折られずに真っ直ぐに育った青年だと思っていて、あんなふうに子どもを育てられたら素敵だなぁと常々思っているんだけど、それをある友人に話したら「さかなクンみたいな生き方は1番良くないと思う」って反応をされたことがある。

その子は教養人になることが重要だと考えているらしくて、ある一つの専門だけを深める生き方は必ずしも良くないと、そういう意見だったと思う。まぁそれも一理あるね。

にしてもさ、「さかなクンみたいな生き方が1番良くない」という否定の仕方って、コミュニケーション下手すぎん?

この話、平たく言えば「専門と教養どちらが大事か」という議論になると思うんだけど、ここには明確な答えはなくて、それは「りんごとみかんどちらが偉いか」と多分一緒。「りんごも偉いけど、みかんのこんなところはりんごにはない偉さだよ」って言えばいいのに、「りんごはクソ」って吐き捨てるようなコミュニケーション。

 

すごく昔のことなのに、思い出して嫌な気持ちになっちゃった。えへ。

 

急にこの話を思い出したのは、このツイートを見たから。

https://twitter.com/YASUHISA_KOKI/status/1399953796357185538?s=20

 

このあくなき好奇心と探究心をもつ少年と、少年の思いに本気で応える大人たち、いいねぇ、そんなふうな子ども、大人であれたらよかったのに、って思っちゃった。

この少年の話を見てさかなクンを連想した人が多くいたみたいで、リプライにさかなクンのことを言及してる人もいたよ。

 

子ども、ちゃんと元気に産めるか分かんないけどね。別に、このTwitterの少年やさかなクンみたいに天才と呼ばれそうな少年じゃなくてもいい。普通の子でいい。でもその好奇心を折らずに、育ててあげる親になりたいって心から思うの。

とかいって、無気力な個性の子かもしれないし、この願いもただのエゴだなって自覚はある。

 

子どもを産むには、私は教養が足りない、、という焦りもあったりする。

私自身がもっといろいろなことを知っていかないと。出不精で、新しいものを取り入れるのが苦手な性格なんだけどね。。それも私の個性で愛おしい人間の1人だけど、いろいろ興味を持った子どもに付き合えるだけの教養、少しずつでも身につけていきたいなぁ。