4月は純真無垢

素敵撒き散らしたりする。

生と死は確かに異なるけど近いものだ

祖父が死んだ。
祖父とは10年前から疎遠だった。
祖父は、母のお父さんにあたるのだけど、10年前に母と祖母が大げんかして、それ以来遊びに行くこともなくなって、この10年で2回くらいしか、会わなかったと思う。

父の電話を朝7時半に受けて、午前中は出勤をしたけど、早退してその足で空港に向かった。
確かに優しかったことは覚えているけれど、疎遠だったから、余命幾ばくもないと聞いても、祖父が死ぬことへの不安は、あまり感じていなかった。
自分でも薄情だと思うけれど、死に目に会うべきか葬式だけ出るだけで十分なのか迷っていた。

午後5時に病院に着いた。
祖父はもうしゃべることはできず、尿が出ないのに点滴は打たなければならないから、体がぱんぱんに腫れていた。
その姿を見たとき、話しかけたとき、やっぱり、悲しかった。
咄嗟に、泣きながら「元気なうちに会いにこんでごめん」と言っていた。

その日は病院に泊まり、家族で交代で見守っていたけれど、翌朝10時半ごろ祖父は亡くなった。
母や、叔父や、祖母や、みんなは、バタバタとしていて、本当の最期を看取れたのは、私だけだった。



おじいちゃんが元気なうちに、会いに来なかったことを、すごく後悔している。
母から、おじいちゃんの部屋を整理していたら、私の名前を書いた通帳が出てきたよって言われた。
おじいちゃんは、あんたのことが会えんでも可愛かったんやね、って母に言われた。

なんてことをしてしまったんだろう。
私、おじいちゃんのこと、思い出があんまりないって、思っていたけど、おじいちゃん、あんなに私のこと可愛がっていてくれたね。
おじいちゃんがせっかく貯めてくれてたお金で、花嫁姿を見せたかった。
ちゃんと、あいにくればよかった。
疎遠でいた10年間も、心のどこかで「おじいちゃんおばあちゃん、高齢だし、あっとかんでええんかなぁ」と思っていたのに。
私は大学から地元を離れたから、なかなか会えないのに。
もう社会人で、大人だから、自分でお金を工面して、会いに行くことはいくらでもできたのに。



私が病院で見た、生きているけれど、意識のないおじいちゃんは、私の記憶の中のおじいちゃんとは別人のような見た目だった。
死んだあとのおじいちゃんは、冷たくて、硬くて、人形みたいだった。
生きていることと、死んでいることは、決定的に違うけれど、生と死のはざまをゆっくりといったおじいちゃんを見ていると、生と死は隣り合わせで、特別なことじゃないんだって思った。
陳腐な表現だと自分自身でも思うけど、実感した。
恥ずかしながらこれまでの人生でちゃんと人を看取ったことがなくて、ご遺体というものに対して特別に忌み嫌うものだという感覚があったのだけど、
おじいちゃんを看取って、体を拭いて、家に運んで、棺に入れて、お骨を拾って、それらの儀式のおかげで、ちゃんと、向き合うことができたと思う。

死んだということは、もう温もりを感じられないし、会話をすることができないということだけど、
心臓が動かなくなって、別人のような見た目になっても、おじいちゃんはおじいちゃんで、お骨になっても、おじいちゃんは、おじいちゃんだと思えたから、
遠くに行ったわけじゃない。

後悔は、尽きないけれど、でも、そのときの過去の私は、祖父母よりそのときの暮らしを優先していたのだから、言ったってしょうがないことで、
でも私は前よりきっとたくさんおじいちゃんを思い出すし、前よりもきっと近くにいる気がする。

多分、生きているけれど会うこともない人と、死んでいること、大きな違いはないのかもしれない。
後悔しているのは、生きているうちに、感謝の言葉や愛情をきちんと伝えなかったことで、たくさん会いに来なかったことじゃない。
そばにいないから愛してないわけじゃない。
だからもう会えなくても、たくさんおじいちゃんのことを思い出そう。


葬儀屋の人にすすめられて、おじいちゃんへのメッセージを書いた紙で鶴を折って、棺に入れた。
誰にも見せないメッセージが、ご遺体と一緒に燃えただけのことで、それが故人に伝わるわけないと思われるかもしれないけど、私にとってはそれが大切で、お姉ちゃんも、お兄ちゃんも、従兄弟たちも、きっとおじいちゃんに伝えたかったこと、きっと書いてたと思う。
鶴がちゃんと伝えてくれる。
ちゃんと、飛べるように、羽をしっかり広げたし。



明日、東京に戻って、明後日からまたもとどおり仕事。
日常に戻る。
前よりも周りの人への感謝の気持ちをもっと強くして。
今生での悔いを減らすために、しっかり生きよう。